合 気 道 と は
百家争鳴の如く各HP上で「合気道とは」について自説を書かれております。それぞれの先生方の先師の教えや,長年の修練により導き出された考えを表したものですから,それもまた,合気道という大樹の一部を確かに表現しているものと思います。
しかし,そもそも開祖・植芝盛平大先生の考える合気道とはどのようなものだったのでしょうか。
開祖の言に基づき,植芝吉祥丸第二代道主が練り,財団法人合気会認可申請の上申書に記されているものが,「植芝吉祥丸第二代道主著,植芝守央第三代道主監修,出版芸術社,平成28年刊の合気道開祖 植芝盛平伝」に載っております。これが最も根本的なものと考えられますので,多少長いですが引用をさせて頂きました。
「合気道とは,大自然界の生物相互愛の雰囲気に法って,体を三面に象り,「これを放てば六合にわたり,これを巻けば退いて密に蔵る」という中道の理にも適い,天地に融合する心身の保健,加害に対する護身の技術でもあります。護れば一つの球になり,展けば四角となり,構えては錘となり,動いては繭形となり,縮みては珠玉となり,真に千変万化,名状することが出来ません。あの神医華陀の七禽八息もかく有ろうかと思われる程の精妙さを極めて居るのであります。
斯く見て参りますと,合気道は一種の舞楽道と健康道とを兼ね備えた遊技ともなり,体育でもあり,人格涵養の至術でもあり,生命の金殿玉楼を造るものでもあり,活動力の源泉を養成するものでもあります。亦一方,男女の共栄にも適し,其の運技操作の極みに達する点に於いては心も空,身も亦空,実に真空妙用の極致に至れるものでありまして,心身の爽快なことは,所謂「無心にして自然の妙に入り,無為にして変化の神を窮む」と言う心境をも味わい得るのであります。
又必要に応じては如何なる方面にも無限の変化を為し,機に臨み変に応じ得るの迫力も備わり,気魂の力は自然に蓄えられて八身一如の現出も容易となり,均衡のとれた心身ともなり,柔順,強剛,叡智,至誠の四徳を得る妙術でもあります。」
さすがに,昭和23年頃にまとめられた文書ですので,70年後に現代に生きる私たちにとっては,解りづらいものです。これを,今に生きる私たちに対しても分かり易いように平易の言葉で表現しているものが,合気道の総本山・合気道本部道場や全日本合気道連盟のHPに掲載されていますので,そちらからも引用をさせて頂きました。
「合気道は、開祖・植芝盛平翁が日本伝統武術の奥義を究め、さらに厳しい精神的修行を経て創始した現代武道です。合気道は相手といたずらに強弱を競いません。入身と転換の体捌きと呼吸力から生まれる技によって、お互いに切磋琢磨し合って稽古を積み重ね、心身の錬成を図るのを目的としています。また、合気道は他人と優劣を競うことをしないため、試合や競技を行いません。」(全日本合気道連盟HPより抜粋,引用)